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アメリカの見当違いな移民討論
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米国の上院において、移民に関する討論が始まっている。この討論においては、いくつかの提案が取り上げられることになる。その中には(既に下院が承認した)米国-メキシコ国境に沿う壁の建設費を提供し、米国への無許可の入国を重罪と位置づけることになる、疎ましい議案も含まれている。
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米国上院では、エドワード・ケネディー上院議員、ジョン・マッケイン上院議員共著による議案についても検討される。彼らは、国境のさらなる強化、研修期間と市民権取得へのチャンスを含む臨時労働者プログラム、そして既に米国に住んでいる不法滞在者たちのための合法化などを提案している。また、移住手続きを整えたいと望む者全てに対し、いったん帰国したうえでの順番待ちを求めるという考えがある。
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news_commentary_3
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この最後の構成部分は主として修辞的である。すでにアメリカにいるメキシコ人が自ら、新しいビザ交付を忍耐強く待つために、例えばサカテカスの町へ戻るとは想像し難い。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、ほぼちょうど5年前、グァナファトにヴィセンテ・フォックス大統領を訪問し、メキシコとの移住協定への尽力を約束して以来、この問題を回避し続けてきた。
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news_commentary_4
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最後に挙げるのは、おそらく最も重要である、上院司法委員会のアーレン・スペクター委員長が示した妥協案である。スペクターもまた、国境警備の強化や、6ヵ年更新不可能の臨時労働者プログラムを提案する。このプログラムは、市民権取得のチャンスがないものだが、無許可の移民が、新たに非移民という身分で米国内に残ることを可能にする。後者の身分には、市民権取得のチャンスが含まれるとも含まれないともいえる;問題をはぐらかしているのは、これが装いを変えた恩赦の一形態(幸いにも、ある程度までは、そうであると言える)なのかという討論を避けるための交渉戦術であるといえるかもしれない。
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news_commentary_5
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これらの討論に欠けているのは、ラテンアメリカの状況である。かつての西半球において、南北の移民流入がメキシコとカリブ海に制限された時代があった。この状態は、まず1980年代に中央アメリカの市民戦争が原因で数千人がメキシコを通って米国に移住し、その後、1990年代にコロンビア、ベネズエラ、ペルー、エクアドルにおける暴力から逃れた人々がチャンスを探しはじめた事によって変化した。
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news_commentary_6
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今日、伝統的に移民を受け入れてきた国であるブラジルでさえも、移民を送り出す国の一つとなった。さらに、これらの移民はいまや、おしなべて地方出身者というわけではなく、また行き先も米国の伝統的な地域だけに限られてはいない;彼らは、文字通り、あらゆる所にいるのだ。彼らの仕送りは家族、コミュニティ、そして母国の経済厚生に非常に貢献している。
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news_commentary_7
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したがって、米国において打ち出される移民政策は、どんなものであっても、メキシコを優に越えリオ・グランデの南までに及ぶ莫大な影響を持つことになる。これはまさにラテンアメリカが左派に片寄り、各国が次々に反米、人民主義姿勢に振り戻る局面を迎えた時に起こる状況である:1999年ベネズエラ、昨年ボリビアで起こり、そしておそらく今年の後半、メキシコ、ペルー、ニカラグアで起こる。もし、米国のラテンアメリカに対する敵意の認識が続けば、無責任で扇動的な左派に対する論争が強固になるだろう。
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news_commentary_8
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責任を果たせるチリ、ブラジル、そしてウルグアイの左派は、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領によって敷かれた規定の例外である。地域で増えつつある反米感情を強調する一番の方法は、米-メキシコ国境を閉鎖しようとすることである(無駄なことだ)。それよりも、米国は、国内経済が必要とし求めている人々を臨時あるいは永久的に入国させる、人道的、安全かつ合法なメカニズムを構築するべきである。そしてこのメカニズムは、ラテンアメリカ政府と対立するのではなく、協力する方向に動くべきである。
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news_commentary_9
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5年前、メキシコ大統領ヴィンセント・フォックスは、米国におけるネイティビストの逆戻りがラテンアメリカとの関係を複雑化し、米州自由貿易協定などのゴール到達を不可能にしてしまう前に、何らかの対策を取らなければならないと述べ、ブッシュを説得しようと試みた。しかし事態はさらに悪化した:米国とメキシコの国境における緊張は高まり、提案された壁は当然のことながら憤慨を煽り、かつてないほど多数の無許可移民が米国へ流れ込み、そしてFTAAは失敗した。
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ブッシュは啓発された移民改革並びにケネディー・マッケイン議案を支援するために、彼の元に残る政治的資本を使い始めなければならない。出稼ぎ労働者プログラムは民主主義の支援がなければ実現しない。ホワイトハウスが居住と市民権を得るためのいくつかの選択肢を含むプログラムへの既に米国に住む無許可移民によるアクセスを支援しない限り、実現は難しい。
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メキシコと米国はお互いの国の国内政治問題に敏感でなければならない。国境以北における移民政策は、警備問題を処理しない限り実行できない;国境以南においては、移民改革が、現在米国に不法滞在している約五百万のメキシコ市民を無視する限り、国境警備あるいは出稼ぎ労働者プログラムへのメキシコからの協力は考えられない。
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news_commentary_12
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メキシコはフォックスが「共有する責任」と呼んだものに従わなければならない。米国-メキシコ間で想像しうる取引、言い換えれば米国において想像しうる移民改革は、メキシコや南アメリカからの不法移民の流入を一夜にして解消することはない。メキシコは、その流入の交通整理という責任を負わなければならず、そのためには南側国境を封鎖するだけでは済まない。政府は、例えば、稼ぎ頭の男性が働きに出ない家庭に対する福祉金の支給を2倍にする、農業地域から長く離れた者に農地改革の権利取り消しを警告する、テワンテペク地峡の高速道路に検問所を設置するなどの対策を取れるだろう。
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フォックスはメキシコの古いタブーを破る覚悟があると示したが、ブッシュ政権はいまだそれに応じたことがない。これは残念である。フォックスは永遠にいるわけではないからだ。
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これまで常に、移民は米国内において大変に複雑で繊細な問題とされてきて、今、それはラテンアメリカにおいても同様のこととなった。チャンスの窓はブッシュの第一期の初頭に開かれ、2001年9月のテロ攻撃後に閉ざされた。今またその戸は開きかけているのであり、手遅れになる前に、うまく利用するべきである。
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新しい反ユダヤ主義
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現代は暴力の時代である。我々は新しいタイプの戦いである「文化戦争」を経験していると考える者もいる。それはムスリムのスンニ派とシーア派、あるいはアジアやアフリカにおける種族間、それにまた、イスラム教徒と西欧人との間に見られる種のものである。しかし、これらのうちいくつかの戦いの根本にある理由は、もっと伝統的なものであると言えるだろう。
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ある特定の文化社会に属しているということは、国際化における勝者と敗者との闘争の口実に過ぎない。冷酷な指導者は分別を失った信奉者を駆使する。特に、期待すべき未来を失った若者などがその代表である敗者たちは、「敵」と設定された者に向けた自殺的な行為にさえ誘導され得る。
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我々の知る、醜く、実におぞましい憤りの感情-反ユダヤ主義のうち、最も古いものが、闇からよみがえりつつあることも、このような時代においては、驚くべきことではないかもしれない。そのカムバックは個人への攻撃という古典的な形をとった。例えば、最近フランスで起きた若いユダヤ人の殺害事件や、墓地やシナゴーグなどの象徴的な場所が荒らされた事件などが挙げられる。しかし、それより総括的な、ユダヤに関するあらゆる事柄に対する敵意もくすぶっている。
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反ユダヤ主義はホロコーストと共に滅び去ったと思われていたかもしれないが、そうではない。ホロコーストははじめから無かったと主張する者や、巧妙な文書の上で事実化されたものだとする者もいる。
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否定論者の顔ぶれは、デイビッド・アービングのような二流歴史家から、最近イラン大統領に選ばれたマハムード・アフマディネジャードのような人気のあるらしい政治家にまで及ぶ。ナチスドイツがしたことの証拠は非常に強力であり、否定する者を牢獄に入れて彼らに本来より多くの注目を引くまでも無く、対応できる問題ではないかと思われる。
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より気がかりな反ユダヤ主義の源流はこれとは異なり、新たな反ユダヤ主義について語ることを正当化する。それはイスラエルに関する問題だ。確かに、アメリカは西側に反発する勢力の標的として一番に挙げられている。しかし二番目は、中東で唯一成功している近代国家であると同時に、高度の武装勢力、支配力を持ち、そして利益を守るための無慈悲な防衛を厭わない、イスラエルである。
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西側で見られるパレスチナ・ロマンチシズムとでも呼ぶべき未知の感情を誇張するのは難しい。エドワード・サイードのような最近の識者がこれに対し意見を述べたが、米国や欧州でこの感情を信奉する者は多い。パレスチナ・ロマンチシズムはパレスチナ人をイスラエルの規制による犠牲者として称揚し、イスラエルによるパレスチナ人に対する扱いが最高でも二級市民に過ぎないという点を指摘し、イスラエルの「安全策」による影響を含む支配下に置かれた領域における多くの抑圧事変を例証する。暗黙的あるいは明示的に、人々は犠牲者の味方につき、資金を送ることで彼らに貢献し、自爆者の正当性を主張するものさえ出ているが、そのことによって、支援とイスラエルからの防衛からますます逸れて離れつつある。
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もちろん、学説の中においては反ユダヤ主義にならずにイスラエル政策への反対が可能である。何といっても、イスラエル政策に対する批判はイスラエル人の間に十分にあるのだ。しかしその区別はますます維持が難しくなってきた。イスラエルの外にいるユダヤ人は、国を護らなければならないと-正しくとも間違っていようとも-感じている。結局のところ、彼らの究極の願いは安全なのだ。これは彼らの友人に、反イスラエルと見なされることだけでなく、反ユダヤ主義にまとめられることを恐れさせ、意見を述べることを躊躇させる。ユダヤの防御性と彼らの友人の気がかりな静寂は、彼らは彼ら自身を反イスラエルの言語に限定しているにもかかわらず、公共の討論の場が実際に反ユダヤ主義である者にのみ開かれていることを意味する。
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news_commentary_24
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反ユダヤ主義はどのような形で現れようと、いやなものだ。他の集団に対する嫌悪ももちろんうんざりだが、ホロコーストは全人口をほぼ絶滅に追い込んだ共犯の感情であることから、反ユダヤ主義を独特なものにしている。
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news_commentary_25
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しかしながら、世界の他の国々における教育と議論のみでは、新たな反ユダヤ主義に立ち向かうことはできない。それはイスラエルに関連しているのだ。イスラエルが20世紀の偉大な達成のひとつであると見なされ、迫害され虐げられた者たちに誇れる住処を与えた国として称賛される時代に生きる者にとっては特に、今まさにそれが危機にさらされているかもしれないと思えるのだ。
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中国の小さな一歩
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中国が踏み出した流動相場制への控えめな第一歩が、経済にどう影響を及ぼすにせよ、我々はその戦略の巧妙さに感服するべきだろう。今回の小幅な改革(人民元の為替レートを対ドルで2%切り上げ)は、この先いつどう動くのか、全く予想がつけられない点が特質的である。
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中国製品に対する厳しい報復関税を望んでいた欧米の保護貿易主義者らは、不意打ちをくらわされている。彼らは常に意見を報道に流していたいだろうが、中国バッシングをあまり急に強めれば、舞台裏でのデリケートな交渉を邪魔する者と写るだろう。
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しかし、中国の小さな一歩が、今後大きな前進へ繋がっているかどうかは、誰にも断言できないのも事実である。中国当局の方針はあいまいだ。中国は、為替レートの平価切り上げを迫る国際社会の圧力をほんの少し和らげることで、高まる貿易黒字抑制の声を横柄に牽制した。しかし、重要な疑問は、果たして中国は自らの責任で市場の力に反抗しているのかということだ。
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為替市場を意のままに従わせる中国の力は、少なくとも表面的には、小幅切り上げによって弱まることはないと見える。すでに各国の専門家が、人民元の小幅な価値上昇は、全く上昇しない場合より始末が悪くなるだろうと警告していた。世界貿易の不均衡に大きな影響は及ぼしていないものの、小幅な改革は大規模な外国資本の流入を招き、中国の通貨攻防を圧倒し、混乱を招くかもしれない。しかしこれまでのところ、そのような動きはない。中国は今回もわが道を通し、専門家たちの鼻を折ったかに見える。
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しかし、絶賛するにはまだ早い。投機的な買いを招くという構想通りにうまく進むかもしれないが、しかしそれは非常に遅いペースでのことである。結局、中国は投資家がためらわずに投資できる国ではないのだ。中国が砦を守ることが出来るのは、世界で最も厳格な為替・資本取引規制をもつ国の一つだからである。同様の管理体制が主に閉鎖された社会のみで守られてきた、多くの南米諸国や旧ソ連諸国と異なり、中国の資本規制を責めることは、極めて重大な攻撃を意味するのだ。
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しかし、この50年来、フランスやイタリアを含む世界の国々が厳しい規制を敷いてきたが、結果は常に同じで、規制の効力は、国の民間企業をとおして徐々に風化されている。インセンティブが十分に強ければ、民間資本は、輸出入を不正に報告したり、(中国には余るほどいる)汚職政治家に取り入ることで、次第に管理をすり抜ける方法を見つけていくのだ。
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つまり、仮に中国当局が、国家の財政システムの洗練、分権化に伴う資産の大量流出をなんとか規制できても、多くの傷を負い、ゆっくり滅びるのをとめることは出来ないだろう。固定相場制度を維持するには、米国の金利政策をひたすら真似するしかない。そんなことは、かように大規模かつ多様性に富んだ地域には無意味なのだ。
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実際、長期的にみれば、中国にとって一番の関心事はいつか財力が国外へ出ようとするのではないかということだ。中国の巨額の外貨準備資金でさえ、苦しい平価切下げを食い止めるのに十分ではない。通貨に対する圧力が上向きの時に固定相場制から抜け出す方が、ずっと簡単である。投機的傾向が中国に背を向けるとは考えにくいように見えるが、一方で為替レートへの圧力は瞬時に翻るだろう。通貨というものは、今日は味方でも、明日は敵になりうるのだ。
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中国では、ますます拡大する国内の経済格差や、隠れてはいるが大規模な地方の失業率など、明らかに政治不安が資本家に背を向けさせている。そして、台湾に関する激論を重ねた今、中国の不安定な財政システムと貿易制裁の見通しとを見れば、人民元は常に一方的な賭けができるわけではないことも明らかである。
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大事なことを言い残したが、中国当局は、共産党一党体制を維持するために、暴走する自国経済の成長維持を切望している。しかし、経済が豊かに、より複雑になるにつれ、国内での信用配分をさせる市場要請から逃れる道はなくなるだろう。実際に、中国以外の市場は、アジア地域内でも、段階を追ってこの問題を克服してきている。中所得レベルの国々は経済危機に陥りやすいが、それは、経済成長の維持に市場の自由化が欠かせないことが主な理由だ。だからこそ、中国当局は、今すぐ手遅れになる前に、より柔軟な切り上げに踏み切るべきなのである。
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さて、我々は今すぐに次なる大前進を中国に期待すべきか?オーストラリアドルや南アフリカランドなどにはお決まりの劇的な旋回が、中国の為替レートにも見られるようになると思って良いのだろうか?
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どちらの筋書きも、実は、ありそうもないと思われる。ただ自由市場主唱者だけが、火を噴く勢いで極端な切り上げを求めている。中国の不安定な経済システムが自由化を一晩さえも生き残れないことに気づいていないようである。
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しかし、これからの12~18ヶ月で、大きく情勢が変わる可能性は十分にある。人民元切り上げは、対ドル相場で最低でも10%、そして恐らくそれ以上に切り上げるまでは、終わったとはいえない。中国の通貨改革は、この先の前進があってはじめて、高く評価されるだろう。
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中国為替レートの難問
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中国の、人民幣 (元) を 2.1% 切り上げ、ドル ペッグ制を廃止するという突然の決定は、米国からの過去数ヶ月にわたる重圧の成果である。この驚くべき政策変更は、中国にとっては依然として固定通貨が有利であるため、しばらくの間保留されることになりそうである。
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実際に、その最適な貨幣区域についての研究が、ユーロの理論的な実地研究の実施により裏付けされた経済学者ロバート マンデルは、中国が、現在の経済発展のフェーズにおける必要不可欠な一面として、固定為替相場を維持すべきであると主張している。しかし、中国の歪んだ経済構造に目を向ければ、その為替相場制度の、日本およびその他の東アジア経済が直面してきた問題よりもさらに難しい問題が明らかになる。
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東アジア経済の躍進にとって、為替相場のペッグ制が地域の輸出主体の開発モデルと良く適合する不可欠な制度であったことは明白である。しかし固定為替相場の有効性は、輸出部門の発展が、国内産業および一国の経済全体にどれだけの波及効果をもたらすことができるかにかかっている。貿易部門における成長が国内の非貿易部門成長の起爆剤となるのなら、固定為替相場が、対外的な貿易収支に対する輸入引上げの要求といった重圧を生むことはないであろう。
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こういった状況下では、為替相場の再評価が経済発展に深刻な影響を及ぼすことはない。たとえば日本の経済学者は、ドルに対するドル以外の通貨の「適正な評価」をもたらしたプラザ合意は、高い国民所得の自然な成り行きであったと議論している。これは、日本が変化を受容した主要な理由の 1 つであった。
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しかし、中国の現状は大きくかけ離れたものである。一人あたり国民所得が 10,000 ドルや 15,000 ドルではなく、たったの 1,000 ドルという段階で再評価への重圧が訪れているのであり、つまり中国は、日本が円の再評価を認めた時点で達成していた段階に達するまでに、より長期間にわたる急速な経済成長を必要としているのである。
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同様に重要な点としては、躍進初期の他の東アジア経済とは異なり、過去 10 年間の中国の輸出部門の拡大は、拡張が主に海外直接投資 (FDI) によるものであったため、国内非貿易部門の発展と密接にリンクされてきたわけではない。中国の 460,000 社の海外資本企業の多くが製造および組立てに集中しており、輸出の輸入集約度および対外貿易部門の国内産業からの切離しを加速している。
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これは特に、FDI の高い集中から利益を得たもっとも豊かな地域である中国の東部と、西部との間の地域格差を拡大しうる。現実的には、人民幣の為替相場が、相対的に繁栄している東部沿岸地域の所得水準によってのみ決定されるということは予想しにくい。
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news_commentary_48
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たしかに中国は莫大な貿易収支黒字を蓄積してきており、それは人民幣が大幅に過小評価されていることを示す。しかしその黒字は、中国の国内経済部門およびより貧しい地域における、構造的問題を覆い隠しているにすぎない。実際、総貿易量から外国資本企業の輸出を差し引けば、黒字は消滅する。通常全体としての商業貿易収支およびサービス貿易収支の両方が、赤字であるためである。
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news_commentary_49
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つまり、FDI の支配により引き起こされた輸出部門の他の中国経済からの隔離こそが、人民幣過小評価の幻想の一因なのである。中国の今の GDP の 70% を占める輸出の拡大は劇的なものだが、それは外国資本の製造および組立て企業に囲い込まれているため、他の経済部門を一切牽引していない。巨大な国内経済を鑑みれば、もし成長がそういった企業に囲い込まれていなければ、中国がこれほど莫大な対外黒字を蓄積することは不可能であったであろう。
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すなわち再評価への重圧は、中国経済の実際の必要性ではなく、米国の巨額の収支不均衡、特に GDP の 5% を上回る長期的な貿易赤字から派生したものである。ただしドルの優位は、米国が他の国々よりも、より幅の大きな貿易収支を維持できることを意味する。
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news_commentary_51
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アジアが外貨準備をドルで保有するかぎり、中国の人民幣の安定的な価値を維持するという希望は、貿易および経済発展に大きな利点をもたらし続けるであろう。
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二次的な民主主義
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世界中で民主主義が徐々に広まっている。中東からラテンアメリカそしてアジアまで、多くの独裁主義国がより民主的で信頼性のある政府形態へ向けて段階的措置を講じており、自立した有効に機能する民主主義を確立している国もある。米国行政は自国の影響下にある多くの開発国で、政治の自由を強化する決意を固めており、民主主義の拡張は、事実アメリカ外交政策の金字塔となっている。
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news_commentary_54
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現在の民主主義の波紋が歓迎される背景には、多くの理由がある。民主主義は不正や悪用との関係が薄く、市民と政治の自由および政府の真に市民を重視する姿勢と強い関連性がある。しかし経済的成功にとっては、民主主義はどれほど重要なのであろうか。
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news_commentary_55
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経験的には、あまり重要でないことが証明されている。これは意外に思えるかもしれない。結局のところ、一見すべての裕福な国々が民主主義の政府形態を有し、(主にアフリカの) もっとも貧しい国々が非民主主義国であるという理解は誤っているのであろうか。事実世界中で、民主主義はより高い国民一人当たり所得と、強く関連付けられている。
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news_commentary_56
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しかし空間ではなく時間という次元に注目すると、この関連性は失われる。平均すれば、民主主義国となった国々が、政治移行後により急速な経済成長を達成しているわけではなく、また逆に、民主化に失敗して独裁主義国へ逆戻りした国々の成長率が悪化しているわけでもない。
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news_commentary_57
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各国で見られる所得と民主主義との間の正の関連性は、逆の関連性 (すなわち、民主主義は国が裕福になると持続する) によってもたらされている可能性がある。また、歴史および文化的な特別な状況 (つまり、いくつかの社会が、他の社会よりも経済発展条件と、民主的政治制度を開発および維持する能力の両方に恵まれていた) によってもたらされている可能性もある。
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news_commentary_58
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国境を超えて実在する所得と民主主義との間の、正の関連性の根拠が何であれ、それはその因果関係と混同されてはならない。民主主義であることは、経済成長の確保にとっては重要でないと考えられる。
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news_commentary_59
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もちろん民主主義への移行には多くのパターンがあり、それらを十把一からげにしてしまうと誤解を招くおそれがある。
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news_commentary_60
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実際的に重要な区別は、経済と政治システムとの間の関連性に関係している。有効に機能する市場システム、幅広い海外直接投資および大規模な国際貿易がそろった開放経済環境で生まれた民主主義は、経済の自由、期待の安定化、さらには投資の増加および成長の加速に寄与しやすい。逆に、経済が国家によって厳しく管理され、海外輸入および資本移動に対する保護貿易主義障壁があり、外貨獲得において有限な資源に依存している場合、民主主義への移行は、人民主義および再分配の争いに蝕まれ、経済成長に悪影響を及ぼす可能性がある。
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news_commentary_61
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民主主義の成功が、政治移行の段階における基盤となる経済システムの開放度にかかっているという考えは、経験的に証明されている。第二次世界大戦後の期間における成功例では、市場予測を拡張し国際統合を実現する幅広い経済改編が、民主主義への移行に先行していた。例としては、1980 年代後半におけるチリや大韓民国および 1990 年代中頃のメキシコなどが挙げられる。
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news_commentary_62
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逆に、脆弱で閉鎖的な経済環境で民主主義へ移行しようとした場合、結果は惨憺たるものであった。この例としては 1980 年代中頃のラテンアメリカとフィリピンの民主主義化や、1980 年代初期のトルコと 1990 年のネパールが挙げられる。対照的な中国とロシアも、このパターンに正確に当てはまる。
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news_commentary_63
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中国はまず経済システムを諸外国に開放し、(多少遅ればせながらではあるが) やっと政治改編について考え始めたところである。逆にロシアは民主主義に飛び込み、その後になってはじめて社会主義の市場システムとの置換えについて悩み始めた。おそらくロシアには選択肢がなかったのであろうが、持続的経済成長への道筋としては、中国の選んだ道の方がより好ましく思われる。
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news_commentary_64
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これは民主主義が重要でないことを意味するわけではない。しかし、経済改編が第一にあってこその一連の改編が、経済発展の成功には不可欠である。開放的で有効に機能する市場システムが実施されている場合に、民主主義が持続的繁栄につながる可能性がかなりの程度高まるのである。
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news_commentary_65
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以上の重要な論拠が、成功する市場システムを構築するには、国家は基本的人権 (法の支配、個人資産の保障および正義の執行) を尊ばなくてはならない点にある。これらの基本的権利は民主主義政府の一部であり一面である。しかし経済発展にとっては、これら基本的権利は、平等な選挙権および真の政治的競争といった、民主主義の他の純粋に政治的な側面よりも、さらに重要なのである。
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news_commentary_66
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これこそが西側の世界が 19 世紀および 20 世紀に民主主義化してきた道筋である。経済の自由化が第一にあり、政治の自由化はその後に続いたのである。しかし今日の新しい民主主義では、すべてをより急速に進める必要がある。今では選挙権を富裕層やより教養のある市民に制限するというぜいたくは許されていないのだ。
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news_commentary_67
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それでも、歴史による教訓を忘れてはならない。政治改編は、経済改編が先行した場合に成功しやすいのである。エジプトまたはパキスタンについて、市場システムを改善し、法の支配を適用し、経済を国際貿易と資本移動に開放することを主張すべきである。自由な選挙および真の政治的競争を認めることもまた大変重要な点ではあるが、この点は経済改編に続くべきことであり、先行すべきことではない。
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news_commentary_68
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生命の価値を下げる
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2001年8月、ジョージ・W・ブッシュ大統領は国民に向けて、「生命の価値を下げる文化」を懸念していると述べ、アメリカ合衆国の大統領として、自らが「アメリカの、そして世界中の生命に対する尊重を助長し、促進する重要な義務」を負っていると示した。
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news_commentary_70
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ヒト胚(はい)の破壊を助長しかねない幹細胞研究に対する連邦政府の資金供給を認めないブッシュの考えの根底には、この信念がある。ブッシュ政権は、幹細胞研究が1億2千800万の国民を蝕む病気の新しい治療法が見つかるかもしれないとする科学者の説があることを認めてはいるが、ブッシュの観点からは、この展望は明らかに、ヒト胚(はい)の破壊を正当化するものではない。
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news_commentary_71
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先月、この大統領が司令部を勤める軍隊が、アフガニスタン国境に近いパキスタンのダマドラ村の民家にミサイルを発射した。18人が殺され、うち5人は子供であった。死者の中に無名のテロ組織メンバーは含まれていたが、攻撃の標的であったアル・カイーダ副官のアイマン・アル・ザワヒリはいなかった。
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news_commentary_72
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ブッシュは攻撃について、謝罪も、指示を出した者たちへの叱責もしなかった。大物のテロ指導者を殺せるチャンスは、ほぼ必然的に無実の人々を殺すミサイルの発射を正当化する、十分な根拠になると考えているように見受けられる。
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news_commentary_73
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他のアメリカの政治家も同じ立場をとった。保守的な共和党の上院議員-そして中絶反対者として有名な-トレント・ロットは攻撃について、「絶対にやるべきだ」と述べた。普段はブッシュに反対することが多い共和党指導層の上院議員ジョン・マッケインもまた、民間の犠牲者に哀悼を示しながらも、「同じことを繰り返さないとは言い切れない」と付け加えた。
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news_commentary_74
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実際、現在の政権には同じことを繰り返さないと言うことは難しいだろう。すでに、今までに何度もやってきたのだ。2001年11月1日、アメリカの飛行機がイシャク・スレイマン(日干し煉瓦で造られた小屋の一群)を爆撃した。これは、タリバンのトラックが周辺の道に止まっていたからという理由であった。トラックは爆弾が当たる前にいなくなったが、12人の村人たちが殺され、14人が負傷した。アフガニスタン戦争において、このような無実の命が失われた例は他にいくつもある。
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news_commentary_75
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イラクでも、アメリカ軍の攻撃はたくさんの民間人の命を奪った。ここでもまた、多くの例の中ひとつを挙げるので十分であろう。2003年4月5日、バスラ近郊の民間世帯が爆撃された。標的は(イラクに対する化学兵器の多用からこう呼ばれる)「ケミカル・アリ」ことアリ・ハサン・アル・マジド将軍であった。爆弾のひとつがハムーディ一家を直撃した。彼らは尊厳ある、教育を受けた家族であり、誰一人として、支配権力を持つバース党の党員ではなかった。近親を含むと14人の家族であったが、そのうち、2歳の幼児、10歳の男児、12歳の女児ら子供を含む10人が殺された。4ヵ月後、マジドは捕虜として捕らえられた:爆弾は向かうべき標的を逃したのだ。
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民間に死傷を負わせることをいとわない、この首尾一貫したパターン-武装化勢力の枢要部ではない標的を攻撃する場合に多い-は、ブッシュや他のアメリカ指導者たちが、アフガニスタン、イラク、そしてパキスタンに住む無実の人々の命よりも、ヒト胚に対する懸念のほうが大きいことを示唆している。まったく奇妙な優先順位である。一体どこの親が、子供の死を嘆くのと同じ悲しみを、消えた胚細胞に感じるだろう?胚細胞は苦しんだり、希望を抱いたりできない。死によって不意に断ち切られる、未来への望みを持つこともできないのだ。
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長期的に見て、アル・カイーダ指導者の意図を潰すことがより多くの無実の人間を守ることになるという功利論的な計算を持ってすれば、ダマドラにおける無実の人命の喪失を正当化することが可能かもしれない。結局、大勢を占めたままであれば、更なるテロ攻撃の実行に成功し、何百何千にものぼる無実の生命を奪うかもしれないのだ。ブッシュは、しかしながら、この議論を当てにすることはできない。それは、胚細胞の破壊に関しては、長期的に見て、現在では治療法がない病気によって死にゆく人々を守るためだという、まさに同様の見解から主張される正当化を、彼が否定しているからである。
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他の道徳主義者は、研究目的による胚細胞の破壊と、武力攻撃による民間人の殺害との違いは、前者は故意の殺害で、後者は「二次的なダメージ」-意図的ではなく、予知できたとしても、正当と認められる戦時の行動の副作用である、と言うだろう。
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ダマドラへの攻撃を計画し、許可した者たちの主要な意図が、無実の人々を殺すことではなかったと認めることはできる。また、アル・ザワヒリが未だテロ活動を続けており、危険な敵であることに疑いの余地がないこと、そして彼が合法の軍事的標的であることも受け入れられる。この特別な攻撃に関しては、あるいは、これらの理由に基づいて正当化できるかもしれない。
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それでも、無実の人々の殺害が予知される攻撃を容認する方針は、殺された人々の死を軽く扱うことを我々に促す効果を持ちうる。これが、アメリカの命令系統で起きたことであると思われる。タリバンのトラックがあったからといって、民間人が日常生活を営む村への爆撃を正当化する理由にはならない。サダムの軍事エリートの中でもことさら卑劣なメンバー、しかし襲撃の時点で既に軍隊の指導部ではなかった「ケミカル・アリ」を手荒く征伐するという目的のためとはいえ、無実の人々を殺害することは間違っているのだ。
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このような戦術を許す-是認さえする-文化は、生命の尊重を真に奨励するものではない。もし、近くにいたのがアメリカ市民であったとしたら、アメリカ軍が同じ行動を取らなかったであろうことは、確かである。
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低金利は高資産価格を保証するか
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株式、商用不動産、さらには石油さえ含む資産価格が、世界中で歴史的な高水準にある。歴史は多くの場合、将来トレンドの良き指針となるが、いつでも何らかの根源的な変化により、新しいパターンが生み出される。今重要な問題は、今日の高資産価格がそういった根源的な発展の結果であるのか、はたまたバブルが形成されているのかである。
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高資産価格を裏付けるよく聞かれる理由として、(インフレ率調整後) 実質長期金利がとても低いという理論が挙げられる。しかし投資家はこの理論を敬遠するであろう。聞こえは良いが、この理論には確証に乏しく、さらに重要なこととして、高価格の持続性を予測させるものではない。
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もちろん、実質長期金利が突然でも最近でもなく、20 年以上をかけて一定の割合で、かなり目立って低下してきたことは事実である。IMF によれば、世界の実質長期金利は 1984 年に平均 7% 近くで天井を打ち、2004 年には 2% 直下まで低下した。その過程に幾分かの上げ下げはあったが、全体としては下降傾向であり、5% 以上近くという大幅な低下は、衝撃的なものであった。
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ジョージ W. ブッシュ大統領の経済諮問委員会委員長であり、1 月に連邦準備制度理事会議長アラン グリーンスパンの後を継ぐもっとも有力な候補者である、ベン バーナンキ (Ben Bernanke) は、直近の過去 10 年間の実質金利低下を「グローバルな貯蓄過剰」と表現した。これは今日世界中が貯蓄「過多」であるというわけではなく、貯蓄が十分に高い水準にあるため、実質金利で計算すると、過去に比べて利回りが大幅に低下しているということである。2005 年 3 月の講演で、バーナンキはこの「余剰」は、巨額の財政および貿易赤字を含む、アメリカ経済の数多くの特徴を説明しうると論じた。
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低実質長期金利は実質的に年間 100 ドルの利益を生む長期資産は、利回りが 7% であった 1984 年には実質 1,429 ドルの価値があったが、利回りがたった 2% の今は実質 5,000 ドルの価値があるべきであるということを意味する。このように大幅な長期金利の低下は、不動産の大規模な価格インフレを暗示し、事実我々が目撃している高価格を裏付けている。
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高額投資家によるいくつかの主張によれば、これで一件落着である。
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しかし今回の場合、落とし穴がある。実質金利が 10 年または 20年前にそれほど高い水準にあった理由を鑑み、その意味を考えてみる必要があり、また資産価格のより幅広い歴史と実質金利との関係を鑑みる必要がある。
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20 年前、世界中の主な中央銀行が、当時インフレ スパイラルに対する無策と見られていた状況を打開しようとしたため、実質短期金利は歴史的な標準からすれば例外的に高い水準にあった。
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当時の連邦準備制度理事会議長 ポール ボルカー (Paul Volcker) にとって、インフレを根絶するために 1981 年から 1982 年の間、世界を景気後退に導くには、勇気または見方を変えれば無謀さが必要であった。その景気後退は破壊的であったが、世界に、独立した中央銀行が価格の安定性を保証する強硬手段を実行しうるという直観を与えたという、一筋の光明があった。
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しかし、1981 年から 1982 年の世界的な景気後退はインフレ率を急速に引き下げたが、世界のマーケットに確信がなかったため名目長期金利はすぐには下がらなかった。すなわち、実質長期金利は 1980 年中頃にはかなり高い水準から動かなかったのである。徐々に、低インフレ率がその後数年間定着することを貸し手が確信するようになり、長期金利は下がり始めた。
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しかしこの歴史は、計算にも示されているように、長期インフレ率期待が当時の年間インフレ率を大幅に上回っていたはずであるため、1980 年代の真の実質長期金利水準はそれほど高かったわけではないことを意味する。たとえば長期債保有者は、1981 年から 1982 年のグローバルな景気後退後の影響が終われば、インフレが巻き返してくると考えていたはずである。
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インフレ連動債市場は 1980 年代には未成熟であった。しかし、そういった市場でもっとも成熟していた (イギリスの) 市場が、1984 年に実質長期金利を、IMF の数字を大幅に下回る、たったの 3% 前後と予測していたことがわかっている。
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1980 年代中頃の実質金利が本当にとても高い水準であったと認めるとしても、それは2005 年の実質価格が高水準であるべきであるということではなく、株式および住宅市場が 1980 年代にはさらに低水準であったはずであるという論理的結論につながる。
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事実、国債の名目利回りから前年度インフレ率を減じて計算する、米国の実質金利をより長期的視点でとらえると、実質金利は 20 年前よりも大幅に低下しているものの、歴史的標準からすればさほど低い方ではないことがわかる。ボルカーが借入れ費用の急騰を予測した時期の直前にあたる、1979 年から 1981 年の平均実質長期国債金利は、今日の実質長期金利に限りなく近い、たったの 1.25% であった。
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つまり、過去 20 年間における実質長期金利の低下を織込みすぎるべきではないのである。歴史的に、不動産の価格変化は激しく、資産価格との関連性はほとんどない。他にどのような利点があろうと、現在の世界中の低金利は、将来の資産価格急落に対する保険としてはまったくの不十分である。
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選挙だけでは足りない
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民主主義政治なくして自由主義体制は成り立たないが、今日の社会では、民主主義政治だけでは自由主義体制は保証されないことを再確認させられる場面が多い。
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